ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
《十二月波をつくりに海は来る》――「波をつくる」ことを、「海が来る」と言い換えているだけではない。水面の上下運動である波は、海に依存する存在として岸辺に打ち寄せるはずだった。けれど、この句を通して広がる景色では、それとは逆の出来事が起きているようにおもう。波がつくられるまで海はなく、波がつくられてはじめて、海は海として出現し、経験されるのではないか。一方で、そもそもこの句で海は波をつくる者としてやって来ている、やはり波の前に海は存在していたはずだ。互いに相いれない二つの知覚が、打ち寄せては引いていく波の動きをつくる。佐藤文香の作品は、鮮烈さと明快さを兼ね備えたイメージを手がかりに、見えている景色の見え方そのものが景色として立ち上がるような感覚を喚起させる。
佐藤は十代の頃に句作を開始し、高校生の頃には《夕立の一粒源氏物語》で、俳句甲子園で個人最優秀受賞句に選ばれる。《少女みな紺の水着を絞りけり》《青に触れ紫に触れ日記買ふ》など、「若書きではないもの」を意識してつくられた第一句集『海藻標本』では、句の「上手さ」が際立ち、彼女にいわせれば「80点以上」の句が並ぶ句集だったという。やがて、彼女の作品は「俳句らしさ」を良しとすることで見逃されてきたもの、句に詠まれてこなかった余白の開拓へと研ぎ澄まされていく。《柚子の花君に目があり見開かれ》《好きな淋しさ鶺鴒は頷きながら》。「俳句は新しい側の詩。どんな言葉を書いてもタブーじゃない。最先端の言葉や感覚を書き表すのに非常に向いた詩型だと思う」。それは伝統の否定ではない。俳句という表現は、そもそも「最先端」を捉えながら生み出されてきたのだ。
佐藤の仕事は単なる句作だけにとどまらず、俳句という表現が位置づけられる時間や場所にも注目する。たとえば俳句作家の先鋭を集めた『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』の編纂や、自身が参加する短詩型ユニットgucaによる俳句と造形作品のコラボレーション展示『句の景色』などは、俳句史の余白である現代という時代の制作や、俳句が置かれる場そのものの設計であるといえる。それは、俳句という表現の現在を見据え、その外へと俳句を連れ出していく試みでありつつ、俳句の外を俳句の隣につくり出す行為でもあるだろう。「自分の外側が面白くあり続けていれば、それを書いていきさえすれば、ずっと面白いに違いない」。
EDGE 2 #37 / 2020.04.11