ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
なぜ人を殺してはいけないのか。そのように問う子どもたちがいる。そして、その問いにまともに答えられない大人たちがいる。
2001年3月、その問題に答えようとした一冊の書物が世に問われた。『倫理という力』(講談社現代新書)。著者は、言語学者・前田英樹。ソシュール、ベルグソン、ドゥルーズらを読みこなし、新陰流武術の遣い手でもあるかれは、きわめて異色の思想家であるといえる。
がっしりとした体躯に背広をはおった思想家はいう、「なぜ生きるのかという問いに答えられない学問や思索には、けっきょく意味がないだろう」。人間の生という究極の問いを彼方に見据えるその語り口は、ときに難解で、ときにおどろくほど平明である。
「善悪」は人間の社会のなかで歴史的に形成されるものであり、社会や時代の変遷によってその基準も変わってゆく。それに対し「倫理」は、人間の存在に根を張っている。その源泉は「よりよく生きたい」という人間の本能的な思いにある、思想家はそう考える。
倫理とは何か。その思索のなかで、かれは日本の近代批評を確立した文芸批評家・小林秀雄に関心を寄せてゆく。晩年、ベルグソンから本居宣長へと思考を旋回させていった小林は、「倫理と言語」という問題へ独自に接近していった。かれの批評には、人間の内面の意志から作品をとらえようとする一貫した態度がある。
鎌倉、「山の上の家」と呼ばれた小林秀雄の旧家を思想家はたずねる。趣味のよい調度品ですみずみまで整えられた邸宅、その書斎で『ゴッホの手紙』や『近代絵画』、『本居宣長』といった戦後の代表作が生まれた。
前田によれば、小林秀雄は、ゴッホやモーツァルトや宣長といった強烈な個性において、偉大なものがいかにして出現するのかを描き出そうとした。人間は、ときとしておどろくほど偉大なものを生み出してしまう。そこには人間がよりよく生きようとした精神の物語がある。
倫理をめぐる思想家の思索は、後編へとつづく。
EDGE 2 #6 / 2002.06.22