ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
考えることが得意でないように見える人がいる。たとえばほとんど口をきかず、毎日にこにこと店でトンカツばかり揚げているようなおやじは、そう見えるかもしれない。しかし、このおやじのトンカツが飛びきり美味いとしたら、この人ほどものを考えている人間は少ないかも知れない――。
思想家・前田英樹が2001年に記した著書『倫理という力』は、このような書き出しから始まる。トンカツ屋の主人が持っている万人の舌を説得する技術のうちには、何か人間が生きていく理由や目的につながるものがある、かれはいたって真面目にそう考える。
前編につづく思想家の倫理をめぐる思索は、今度は小津安二郎の映画へと沈潜してゆく。
湘南、茅ヶ崎。海岸から十分ほどのところに、小津安二郎が定宿にしていた旅館・茅ヶ崎館がある。昭和22年からの十年間、小津はこの宿の「二番」の八畳間を仕事場とした。
学生時代からほとんどの小津作品を見てきたという前田は、小津の映画に、人がよりよく生きようとする倫理への深いまなざしが込められていると考える。かれが着目するのは、小津の代表作である『東京物語』における、笠智衆と東山千栄子が演じる老夫婦が熱海の旅館に宿泊するシーンだ。ふたりは旅先のその宿で休もうとするが、隣室では若者たちが騒がしく麻雀に興じている。そのときカメラは、廊下に脱ぎ揃えられた二足のスリッパをとらえる。そこに映し出される静寂。「人は日常を生きるなかで、いろんなものを見ないようにしている。その日常生活の下に流れる、もうひとつの生がある」。
非=中枢的なカメラの機械的知覚によって、はじめてとらえられる俳優や事物の根源的な存在。小津の映画は、「開かれた全体」としての世界を、カメラによって縮減させる職人の仕事である。それは行動に向かうものではなく、観想へと向かう倫理である、そう思想家はいう。
北鎌倉、円覚寺。小津の墓碑には、「無」の一文字のみが刻まれている。
EDGE 2 #7 / 2002.07.27