ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
2011年、夏。東京・芝浦で谷川俊太郎「はだか」展が開催されている。
「ひとりでるすばんしていたひるま/きゅうにはだかになりたくなった/あたまからふくをぬいで/したぎもぬいでぱんてぃもぬいで/くつしたもぬいだ」
会場には詩人の詩が「展示」されている。来場者は、ホワイトキューブのそこかしこに書かれた一行いちぎょうを、読みながら足をすすめてゆく。
詩人・谷川俊太郎が参加するデザインレーベル「オブラート」は、詩を新しい読み手に向けてひらこうとするこころみである。詩をTシャツにプリントした「Wearable」や、プレパラートにわずか200ミクロンの詩が刻まれた「poemicro」などがある。
オブラートで苦い薬を嚥みやすくするように、詩を異なるメディアで包み、日常に配置すること。1952年に『二十億光年の孤独』でデビューして以来、半世紀以上にわたって詩作と同時に作詞や絵本などの分野に活動をひろげてきた詩人は、「詩をひらく」ことで詩壇の閉鎖性にたえず異を唱えてきた。
秋、横浜の「象の鼻パーク」でオブラートの新しい作品づくりが始まった。省エネとアートをテーマにした横浜市のこころみ「スマートイルミネーション横浜」の一環である。参加する詩人は谷川と、オブラート同人の覚和歌子。企画されたのは、朗読の声をFMで飛ばしカーラジオから音を出す、自動車のヘッドライトの灯りだけによる朗読会。このアイデアは、東日本を襲った震災後の計画停電の光景から発想されたという。谷川と覚は、この日のために合作した長篇の対詩を読んだ。
横浜の港湾風景から想起された覚のことばは、谷川によって予期せぬ方向へ、いや、あらかじめ約束されたかのような方向へと舵を切ってゆく。それは先の震災への、詩人による応答のようなものだった。
「世界中の波のすべてはこの港から生まれます/
過去をいとおしむあまり未来から盗むことのないように/
生きている私の中でもう何も死に絶えるものがないように」
「津波で消え失せたその港の瓦礫から/
祈りの言葉としか思えないメールが届いた/
ナビもエアコンもないぼくの四駆で/
彼女はふるさとへと向かったのだ」……。
詩人にとって、3月11日の災厄とは何だったのだろう。「ぼくははじめから詩を疑い、ことばを疑いながら書いてきた人間だから、あんまりことばの力というものを過大に信用していないんだけど、3.11以降のことばの状況をみていると、なんか一種の非常事態が起こったときみんなことばに頼るんだなっていうふうには思いましたね。それに現代詩が応えているかどうかは疑問なんですけど」。
ことばを疑いながら、なおことばを書き、発してきた詩人。想像を絶する災いのあとで「ことば」を希求する時代の欲望に、その日かれは応えたのだろうか。
みなとみらいの港湾風景を背後にしながら、車座になったヘッドライトの灯りだけが点るなか、ふたりの詩人の声が交互にラジオから響きわたる。それはまるで、うしなわれた魂を慰撫する、鎮魂の儀礼のようだった。
EDGE SP #11 / 2012.04.21