ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
ナナオ・サカキ、職業、詩人。ここで「詩人が職業になるのか?」と思った方は正しい。われわれの生きる貨幣経済の社会において、詩人は職業ではありえない。だが、サカキの生きる世界においては、それが職業として成り立つのだ。なぜ?
本篇によるとサカキは、1950年代には「フーテン」、つまり「働きたくない、稼ぎたくない…(中略)…人たち」のひとりとして生き、トカラ列島の諏訪之瀬島に個人所有のないコミューンを開き、「これまで暮らした国々は18カ国、砂漠に氷河、火山にサンゴ礁、今も1年の半分は海外を転々と暮らして」いる。「カネからの回帰」を目指し、定住することなく詩作を続けるサカキ。本篇の南伊豆での姿も、その放浪(オン・ザ・ロード)途上の一地点にすぎない。本篇撮影後、2008年に長野は大鹿村、85歳で大往生を遂げたのも、その放浪(オン・ザ・ロード)におけるひとつの出来事でしかない。
本篇の最後、サカキがカンパで得た米をおじやにして食べる場面。食べながらサカキは、「ごはんを食べていること自体が社会的な事件なんだわ」と語る。それが万葉の昔からの言語論、社会と個人とのつながり、そして貨幣経済における等価交換へと発展する。このサカキの姿こそが、本篇のクライマックスだ。カネを基にした現代社会とは違った社会のあり方を、サカキは提示してくれる。
カネを稼がず、定住することもなく生きるサカキ。現代社会は、カネを基にした等価交換で成り立っているように見えるが、果たして本当にそうなのか? では、サカキはなにを社会に還元しているのか? 「等価交換」の「等価」とはなんであるのか、当り前に見えるそれを改めて考えさせる本篇、必見である。
EDGE 1 #15 / 2004.01.24