ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
2026.01.24(土)
08:00-08:30 放送
(スカパー! 529ch)
海(sea)と詩(シ)。
第2詩集『シー』のタイトルの音のなかで、重なっている2つの存在。惹かれる一方でどちらも「怖い」と水沢なおは言う。少し笑って。それから「それでも向き合い続けたい」と確めるみたいに頷く。波打ち際で。個の身体と世界そのものとしての水は揺れ続け、それぞれの輪郭を滲ませることばは溢れこぼれ、詩の飛沫をあげる。詩集『シー』のカバー画に描かれた少女にも似た姿で水辺に佇む彼女は、不定形なからだに不定形なことばを宿してどこまでも広がりゆこうとする詩人だ。
冒頭の東京でのシーン、水沢は健やかに夜の波を漂う魚のようだ。
中原中也賞を受賞した第1詩集『美しいからだよ』は、身体に対する独特の感覚がなまなましい柔らかさで連なる詩行のなかに息づいている。他者との関係性も、物語があるようでいてつかみきれないおもしろさ。それが、夜の街路で「(東京では)透明な感覚でいられる」「誰も見てないし、どうだっていいみたいな」「気楽」と水沢が語るとき、詩のなかに息づいていた身体感覚が日常のリアルとして迫ってきた。
〈わたし〉という個の輪郭を持って私たちは生きているけれど、その殻は外から見られ、決めつけられ、暴力に晒されたりもする。そのように不自由な現実の枠組み、輪郭を、水沢の詩のことばは滲ませ、ほどいていく。身体のありよう、生殖も、交接も、今の私たちが知らないフェーズへと解き放たれる心地がする。不定形に変容していく自由なことばのからだの手触り。それは美しくて、同時におぞましいかもしれなくて、ちょっと怖い。だけど、だからこそいいのだ。
しずおか連詩の会への参加を経て、水沢は「もっと破りたかった」「殻から出られなかった」という思いを抱えたまま、富山のヒスイ海岸へ行く。夜明けの海辺、透き通った翡翠を探す水沢は、まるで詩のことばを探しているかのよう。その姿を見守るうちに、見つかることより探し続けることそのものが”詩”なのではないか、と思えてくる。
静岡では、連詩のなかに「詩になってしまいたい」と書いた水沢なお。富山への旅の後に書かれた詩「透明な石」に、「わたしのかけらが散らばっていた」ということばがあった。殻がひとつ砕かれ、生まれたものがあったのだろうか。『美しいからだよ』は、〝美しい身体よ〟であり〝美しいから、だよ〟だったけれど、〝美しい殻、だよ〟でもあったのかもしれない。
海(sea)と詩(シ)と彼女(she)。その揺らめきが、波となってこちらまで届く。

EDGE 1 #47 / 2026.01.24