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詩人

四元康祐

No.116 偽詩人の自画像

Yasuhiro Yotsumoto

2025.08.30(土)
08:00-08:30 放送
(スカパー! 529ch)

冒頭、作業員に扮した詩人・四元康祐は丸の内にて詩を朗読する。この映像が目に飛び込んでくる。ドキュメンタリー映像としてこの映像を受容する私たちは、鮮やかに「詩人」から「偽詩人」へと変装するさまを目撃することになる。

No.116 偽詩人の自画像

詩人は、「偽詩人」を名乗る。世の中には数多の「偽者」がいるけれど、「偽詩人」ほど、アンビバレントなものを感じさせるものは他にないと思う。近代社会によってすべてが自明なものとして、規定する/された私の眼前にあるきゅうりも、トマトも、標識も、もはや自由にその存在を謳うことはできない。閉じ込められた窮屈な言葉に本来の自立性を吹き込む「偽詩人」は、「偽者」と自己を規定することによって、「詩人」という言葉に自身が回収されることを回避し、同時に、「詩人」という言葉を解放する。

No.116 偽詩人の肖像

「偽詩人」は朝食を食み、散策し、ポエトリーリーディングをし、旅に出て、詩を書く。「偽詩人」を追った映像を観ながら、私たちは薄っすらと、しかしながら絶え間なく、生きること、言葉、そして詩とはなにか、を考え続ける。ずっと考え続けたままだ。このエネルギーは、画面の向こうの「偽詩人」から伝播したものだ。詩は言葉であって、言葉ではなく、生きることであって生きることでない。矛盾をはらみながら揺蕩う瞬間の煌めきがこの映像には確かにあり、この「偽詩人」の放つ煌めきの美しさ、力強さに、ときに呆然とする。

No.116 偽詩人の肖像

佐渡をゆく「偽詩人」の眼差しは柔らかく、それでいて、鋭い。ときおり、「偽詩人」のことを彫刻のようだと私は思う。何かを打ち付けながら、削りながら、磨きながら、自問自答しながら、一体何を拵えているのだろうと思う。

あるいはそこには答えはなく、ただそこにいるだけ、なのかもしれない。

映像には必ずはじまりとおわりがあるけれど、この映像だけは何故か、ずっと続いたまま、詩が画面から浮かび上がってくるようだった。四元さんらしいなと思う。

No.116 偽詩人の肖像
text 山﨑修平

Director’s comment

四元さんは饒舌だ。子どものころの綽名は「スピーカー」だったそうだ。つねに周囲の動向を細やかにキャッチし、みなが気づまりにならないよう喋り続ける。そのいっぽうで、詩人は口舌の徒だ、薄っぺらだ、行いこそ大切だと言って憚らない。
撮影中、四元さんから一度だけ言葉が消えた瞬間がある。佐渡でのロケの最終日、宿での朝食のときだ。前夜、夕食の席で、最後に詩を書くところを撮らせてほしいとお願いしていた。
ふだん外交的なエネルギーに溢れた四元さんが押し黙ると、周りの空気が津波の前の引き潮のようにその身体に吸い込まれていくようで、息苦しかった。横目で見ると、ぼんやりと視線を中空に漂わせている。詩の最初の言葉を手づかみしようとしていたのか。物言わぬ姿はヒトならざるものになりかけたなにかのようで、気圧された。
長くビジネスマンと詩人の二足の草鞋を履いていた四元さんは、明け方、家族が起き出す前にキッチンで詩を書くのを習慣にしてきたという。いい詩が書けないときも苦しみなんてなかった、偽詩人だからとご本人はいう。でも当たり前だが、深海でひとり暗中手探りするような時間を気の遠くなるほど積み上げてきたはずで、その剥き身の沈黙には、ただそこにあるものとして圧倒的なリアリティがあった。よいものを見せてもらった。

text 後河大貴
四元康祐

四元康祐 (詩人)
1959年大阪府生まれ。大学卒業後、製薬会社の駐在員としてアメリカに移住。アメリカ、ドイツに住みながら日本語の詩を発表していたが、2020年、34年ぶりに生活の拠点を日本に戻す。2002年『世界中年会議』で第3回山本健吉文学賞、2004年『噤みの午後』で第11回萩原朔太郎賞受賞、『日本語の虜囚』で第4回鮎川信夫賞受賞。近作に『ソングレイン』(2023)など。

PLANNER/SUPERVISOR
城戸朱理
CAMERA
井手口大騎ダグラス
AUDIO
黒木禎二/阿斯汗
EED
西村康弘
AUDIO MIXER
富永憲一
SOUND EFFECT
玉井実
PRODUCER
設楽実/平田潤子
DIRECTOR
後河大貴
IN COOPERATION WITH
音楽と珈琲/ひかりのうま/佐渡汽船/やま佐荘
SPECIAL THANKS TO
JOHN WILLIAMS
PRODUCED BY
テレコムスタッフ

EDGE 1 #46 / 2025.08.30

2024.12.29(日) 11:30- 放送 (BS日テレ)