ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
高校を中退、27歳のとき、故郷の鹿児島で出版社を創立するも、34歳のとき、倒産。精神的にも経済的にも、追いつめられていった日々。「自分をいかに救うか」。高岡修がえらんだ救済は、詩を書くことだった。しかし、高岡の書いた詩は人生訓や癒しではない。生者と死者の世界が円環する、虚空のごとき純粋言語への憧憬だった。
「言葉は/一度/死の深淵にまで/降りていかなければならないということ/そのために/言葉の寺に石碑はいらず/紙碑こそが/似つかわしいのだということを」(「谺」より)。くるしい時代をささえたのが、死や無に漸近する詩だったという、畏しい逆説。高岡修は詩闘により世界と死闘することで、詩人の生をつかんだ。
高岡修は2003年に自社刊行した『高岡修全詩集1969~2003』によって、鹿児島から全国の詩壇にその名を知らしめる。そして、詩人は還暦逆修生前葬を執り行い、翌日から、これまでは書けなかった桜島を詩にしようとする。新たな「復活」を祈念して。
EDGE 1 #20 / 2008.10.25