ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
東京大学在学中に「ソルジェニーツィン試論」でデビュー、その後「存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて」(1999)や「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」(2001)で、文壇やサブカルチャー界に大きな存在感を示した批評家・東浩紀。2003年に放送された本作では、当時“若手批評家”として注目を浴びていた東の思想的背景を、彼が生まれ育った東京郊外を辿りながら読み解くことが試みられている。
ファミレスや、均質な家が立ち並ぶ丘の上の住宅地や、昭和と共に潰えた遊園地の跡で、「動物化」「セキュリティ化」など、著作で示した概念を提示しながら、「大きな物語の終焉」を説く東。しかし言葉に力がこもるのは、80〜90年代に青年期を過ごした彼が、どんなリアリティに依拠して生きてきたのかを語る時だ。人気アイドルグループ・おニャン子クラブのメンバーの実家を訪ね、昭和天皇が病に臥したら記帳に行く。本来は政治的決断が必要な行為さえ、物語として軽やかに“消費”する高校生だった。形式的な学歴社会という“ゲーム”の勝者として東大に進学し、浅田彰や柄谷行人とまみえながら、そこではじめて、言葉の世界の力が失われていることを知る。
記号的なコミュニケーションが氾濫する現代においては、言論よりも、テクノロジカルな“モノを変える力”を持つほうが、人に影響を与えられるのだ———こうニヒルに笑う東は、「データベース型世界」という観点を用いて、批評領域の拡張を試みようとする。しかし、それには正確な状況認識が必要だともいう。結局、哲学ってキーワードだよね、といって番組を締めた東。それから15年、現在も「ゲンロン」を主宰する東に、果たして世界を表象する新しい言葉は見つかったのであろうか?
EDGE 2 #12 / 2003.07.26