ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
川デアルタメニハ、
生マレイデタ土地ヲ持チ
道デアルタメニハ、
失ウタメノ血族ヲ持チ
おまえの名は生きる者の名であったか
おまえの名を呼ぶ声は生きる者の声であったか
(『われらを生かしめる者はどこか』より)
堤防の階段に座し、川に真向かい、全詩集を片手に稲川方人が読む先の詩行は、このドキュメンタリーの内実をつらぬき響いている。「今回、この番組の出演にあたり、稲川は、提案された郷里福島までの撮影を断り、東京での撮影を希望した」とナレーションは告げる。結果、稲川に迫る本作は、川と都市、東京のふたつの光景を往来する。「川」と「道」の双を辿るのだった。
はじまりから、忘れ難いシーンだ。川縁に立ち多摩川を見つめ、血縁、共同体の原理的な風景が触発されると彼は言う。そう告げる稲川の上空には、濃い灰の雲がたちこめ、遠く雷鳴がどよめき、稲妻が閃く。川の原理に亀裂を打ちこむように迸る稲妻は、詩を生きる稲川方人の意志を露出していた。「君の内部の光年の稲妻が、ほら、走る」(『2000光年のコノテーション』)と彼は、詩を声にする。都市を巡る稲川は、その景観が抑圧的な「意味」に蔽われていると言う。この東京で彼は、無造作に生きてきた、わかってもらえるかわからないが、これでいいとおもっていたと吐露する。「彼方へのサボタージュ」だ。凌ぐのだ。そして、他がだめになっても、書くべきことがある、だから詩を書きつづけるとしずかに宣告する。
聖なる彼方を――最後への短い眠りを埋めるために、
夢にさえ届くことのない楽園のために、その「彼方」を
聖なる彼方を――飢餓の血と水浸しの花と、
謝辞のない愛と記憶のない愛のために、その「彼方」を
二〇〇七年刊行詩集『聖-歌章』におさめられることとなる詩の一節を読む稲川の声が、彼が都市を撮影した8ミリフィルムの映像に、かさねられる。現在の「彼方」で「詩と人間の同意」を賭けるように。この詩集の覚書には「書くことはなお多くあると、その理性が示唆してやまない」と記されている。「その理性」とは、「詩の理性」をさしている。「詩の理性」を律し生きる稲川方人のすがたは終始、川にも都市にも親和することなく、屹立する詩行に似て、光景に拮抗しつづけている。
EDGE 1 #9 / 2002.09.14