ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
水原紫苑。美しい響きの名を持つ歌人は、その名にたがわぬ嫋やかで強かな短歌の書き手。現代歌人協会賞を受賞した第一歌集『びあんか』以来、新古典派として、口語化著しい現代短歌の世界で文語調の宜しさを追求し続ける稀有な存在だ。
こぼれたるミルクをしんとぬぐふとき天上天下花野なるべし
紫苑 『客人』
日常、誰でも体験するであろう上の句の情景から、美的に構築された下の句の幻想空間への飛躍。虚と実が絡み合った複式夢幻能にも通う世界が、三十一音によって紡がれている。
日本の伝統美の粋である「桜」が、水原短歌の主題の一つであるのも、自然なこと。桜を愛し、あまたの歌に詠んできた水原紫苑がいま、桜の聖地である吉野へ旅立つ。
番組は吉野へ向かう電車内でのインタビューにはじまる。みずみずとした湖のようなものが当たり前に自分の中に在った青春期と隔たり、年を重ねた今、硬直、慣れから逃れるために、旅を求めるのだと言う。桜に流動体のような力を〝いただく〟のだという水原。やがて吉野の駅に降り立った歌人。吉野の奥へ分け入っていくにしたがって、歌人の詩心が高揚し、言葉が流れるように生まれていくさまを、われわれは目の当たりにする。蜻蛉の滝から桜木神社、金峯神社を訪ねて、西行庵へ。眼下にあふれる桜を見て、水原は「わだつみ」の言葉に辿りつく。
さくらさくら桜わだつみ漕ぎいでて西行く人にけふ逢ひにけり
紫苑
桜に魅せられた西行から九百年後、またひとりの歌人が吉野の地を踏み、流動する桜の命を〝いただき〟、歌を紡いだ。その数、三十三首。奥千本の花を見下ろして「幸せ」と相好を崩す歌人に、瞬時、桜の精霊を見た。
EDGE 2 #5 / 2002.05.25