ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
「この世は詩の材料で充満している。ありすぎるから選ぶのに苦労する。そして選ぶ行為が詩自体である」。
まるで、マルセル・デュシャンのレディメイドの思想と通底するかのような詩論を語る藤冨保男。
彼にとっては、絵を描くことも詩を書くことにほかならない。あふれるユーモアとアイロニー、そして、ダンディズム。観念や論理に縛られることなく、自由に展開される藤冨ワールドは、笑いを誘い、現実を異化する。
2009年、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館で開催された「藤冨保男線描展詩の姿」は、百点を超える藤冨保男の線描画を展示する大規模なものだったが、これこそ、詩人、藤冨保男の真骨頂を示すものだった。
単純に見えて、普通とは違う。その違いは、アイロニーを含み、見る者を詩の世界に誘う。
パフォーマンスをする藤冨保男の姿は、決して笑わない喜劇王、バスター・キートンのようだ。
藤冨保男は、ダダ、シュルレアリスムの影響下からスタートした。
さらに、エズラ・パウンドのイマジスムにふれて、イメージとは何かを考えた詩人は、イメージとは映像であり、詩のなかに映像を立ち上げなければならないと考えたという。
異端の詩人とされることが多かった藤冨保男は、実はアバンギャルドを生きた詩人であり、戦後のコンクリート・ポエトリー(具体詩)やビジュアル・ポエトリー(視覚詩)といった前衛運動とも密接な関係を持った。わが国のコンクリート・ポエトリーの創始者、新国誠一とふたりで「ASA」を創刊し、ビジュアル・ポエトリーの先駆者、北園克衛とも関わりが深く、さらには日本の現代詩の創始者とも言うべき西脇順三郎の自宅で開催されていた西脇ゼミにも参加している。
いわば、前衛運動のさなかに身を置きながら、自らの詩的世界を作ってきたのが、藤冨保男なのだと言ってよい。
藤冨保男は、学生時代にサッカー部に所属し、東京オリンピックでは審判をつとめるなど、サッカーと関わりを持ち続けてきた。見事なリフティングも披露するなど、思いがけない姿も、楽しい。
藤冨保男は「なさそうであることと、ありそうでないことは違う」と語る。そして、「ありそうでないこと」を考え続けてきたのだと。しかし、ありそうでないことを考え続けたものだから、電信柱にぶつかったりすると語るのが、藤冨保男である。彼に対する解釈は、すべて余計なものとならざるをえない。
EDGE 1 #22 / 2009.08.22