ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
東京、夜。ある都市をめぐって20年にわたって書き継がれた24の断章から成る詩集『吃水都市』の跋文が、女性の声で淡々と読まれてゆく。「想像力によって浸食され、無意識の奥深くに水没した都市。かつては過ぎ去ったものは息苦しい桎梏でもあり、汲めども尽くせぬ想起の快楽の源泉でもあるように感じていた――」。
松浦寿輝の作品には、うらぶれた生活者の肖像とともに、水のイメージが頻出する。それは、大地をうるおす清らかな水では決してなく、じめじめとして花をも腐らせる液体としての水である。いくつもの書棚の脇にしつらえられた小ぎれいな書斎で、短髪に簡素な眼鏡をかけた詩人はこう言う、「詩とは死であり、その前味を漂わせているものである」。そしてこうつづける、「実際に腐臭を立てているかはともかくとして、結局すべては腐ってゆく」。
幼年期の記憶を反芻するために東京東部の下町をおとずれたかれは、すでにどこか子どものような表情をしている。いまだ開発から取り残された路地という路地が、詩人の原風景になっている。「子どものころは、大なり小なり傷を負うものだ。そもそも出生体験自体が傷のようなものかもしれない」。そして、その傷が癒されえないことを知ることこそが、幼年期の終わりなのである。「ひとは結局癒されることはない。あらゆるよろこびもかりそめの癒しでしかない。しかし、かりそめのものでしかないからこそ、そのよろこびはかけがえのないものなのだ」。
あるじを欠いた日の当たるソファには、本が雑然と置かれている。
EDGE 1 #21 / 2009.05.23