ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
桜を巡る旅を重ねてきた歌人・水原紫苑。二〇〇二年には、吉野の桜。二〇〇三年は、北の桜。そして二〇〇四年、「日本の三大桜」に会いに行く旅を敢行する。これは、桜三部作の最後を締めくくる一篇だ。
日本三大桜とは、樹齢一八〇〇年の山高神代桜。樹齢千四百年余の梶尾谷の薄墨桜。樹齢約千年の三春の滝桜。それぞれ、古人が愛し、歌や文にうたいついできた、桜の代表格だ。まさに桜を巡る旅の結びにふさわしい一篇といえる。
角度を変え、時間を変え、ときに桜と一身になりながら、ときには一歩引いた視線で、歌人は桜と対する。その姿は、戯れているようにも、あるいは能のシテとワキさながらにしんみりと語り合っているようにも見える。
山高神代桜の異形の幹に鬼の顔を見、薄墨桜を昼はロゴス、夜はパトスの桜と称し、三春の滝桜に荒々しい少年の霊を見る。それぞれの桜の本質にすかさず切り込む水原の言葉に、自分の目の曇りを自覚させられる。そして紡がれるいくつもの秀歌が、絶妙なカメラワークで桜の美を浮き上がらせる映像を彩る。
興味深いのは、水原があらかじめイマジネーションで作った題詠の歌と、当地を踏んで桜の実態に向き合って詠んだ歌との、双方が紹介されていることだ。キリストの受肉をまのあたりにするごとく、想像に現実の血脈が通う瞬間を目撃することができる。他ではかなえられない映像体験だ。
「浮かされたように作ってきた」。番組の終盤、そう語る歌人。桜探訪の旅は終わらない。終着の地は、出立の地でもあるのだ。
EDGE 2 #15 / 2004.05.22