ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
「現実音痴」を自称する歌人・穂村弘は、しかし現実を誰よりも鋭く見据えている。うまく歌を歌えない人間が、音程や抑揚を実は誰よりも意識してしまうように。運動のできない者が、雲梯の構造を、そこをかるがると渡れる者よりも知悉しているように。人々の多くが「生きる行動」ではなく「生き延びる行動」に拠っているという穂村の現実認識は、鋭敏な現代批評だ。現実を知るからこそ、現実から逃げる。目を背ける。だが、穂村の逃走は、力強い逃走だ。「ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。」(『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』)をはじめとする既成の抒情とは一線を画したポップでドライな口語短歌で、短歌の歴史に新たな局面を開いた。
その後もエッセイ、翻訳と活動の幅を広げて、俵万智以来のポピュラリティを得た歌人となった。だが、穂村が拠って立つのは、「私も分かる」という生ぬるい共感(シンパシー)ばかりではない。たとえば風俗店の看板の「衛生管理」が「衛星管理」に誤植されたことで生じる「驚異(ワンダー)」にこそ、詩の源泉を見る。退職、結婚、母の死、緑内障と、次々に襲いかかる圧倒的な現実に晒されながら、あくまで冷静に、それすらも「新鮮」と言い放つ穂村存在そのものが、我々にとって「ワンダー」であるのだ。
EDGE 2 #24 / 2006.09.30