ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
番組冒頭、前田英樹は、「グローバリズムと称した一極集中支配」に対し「群小のナショナリズムが無数に生じる」世界状況における日本のありかたを問いかける。その手がかりとして、昭和、日本浪曼派を代表する保田與重郎の足跡を辿ってゆく。古典への並々ならぬ素地をまなびうけた保田は、近代への抵抗と忌避を標榜し、彼独自の批評文をつむいでいった。「思索紀行」として保田與重郎ゆかりの地を訪ね、前田が保田を描く方法は、保田が日本、古典を叙述するそれと似ている。前田は「自然(かむながら)」思想を軸に、保田が近代、西洋に日本の古典を突きつけたように、保田の民族、共同体観を現存の体制構造に対置させる。保田は戦後、戦争への協力者と見做された。しかし、前田英樹は、保田の文に、当時の国策と微妙な、決定的なくいちがいがあったはずだと告げる。
ここで再び、本篇最初に提示された国家共同体の存立、対立の現代的課題がよみがえる。前田英樹は、保田の日本を巡る思考が「今のわれわれの視野から失われている抵抗の根拠を示している」と告げるが、この問題は、現在、日本のみならず、世界各地で生起し、散見される出来事にさえつうじている。さらに、保田の理念が日本軍国主義のそれと離反するものだったとしても、古典から導きだされた生死観、郷愁とが文体に宿り一致したとき、彼のうたう理想への献身や自己犠牲が、教養や思想をこえ、戦時下の人々の情調にコネクトし響いたともいえる。だからこそ今、保田與重郎のテクストを無防備に受けとるのではなく、それぞれが彼の文に対峙し、彼の営為から、批評、文学のありかたを思考する契機を見出すことが必要なのであり、このドキュメンタリーは前田英樹のその一つの試みなのだ。
EDGE 2 #17 / 2004.09.25