ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
1950年代、ヨーロッパ、ブラジル、日本と世界各地で、相互に関係を持たないまま、同時多発的に詩の前衛運動が勃発した。文字の形象性に着目し、文字自体の姿を詩として提出するその運動は、コンクリート・ポエトリー(具体詩)と呼ばれる。
それまでの詩の概念を突き崩し、言葉を物質としてとらえるコンクリート・ポエトリーは、読む詩ではなく、言葉の意味を剥奪して、見る詩を創造するものであった。
こうして言葉で説明すると難しく思えるかも知れないが、見れば一目瞭然。コンクリート・ポエトリーは、決して難しいものではない。いや、むしろ、これが詩なのか、という問いを呼び起こすところに、コンクリート・ポエトリーの本質があると言ってもいい。そこには、明晰さと分からないことの豊かさが共存している。
この番組では、わが国のコンクリート・ポエトリーの創始者、新國誠一(1925~1977)に多角的なアプローチを試み、その魅力と本質を探る。
新國誠一の具体詩へのアプローチを紹介してくれるのは、新國誠一とともに「芸術研究協会 ASA」を設立し、前衛運動の一翼を担った詩人、藤冨保男。さらには、フランスのコンクリート・ポエトリーを研究するうちに、新國誠一に出会った新國研究の第一人者、東京大学准教授のマリアンヌ・シモン=及川。さらに、コンクリート・ポエトリーの進化形であるヴィジュアル・ポエトリー(視覚詩)の新たな展開を試みる若き詩人、辻虎志が不可能なはずの新國詩のリーディングに挑み、最後に、わが国のヴィジュアル・ポエトリーの第一人者、高橋昭八郎が、新國詩の本質を語る。新國誠一は、「もし、君が君の言葉を持たなかったなら、君は道端の小石に過ぎないだろう」と言葉に対する信頼を語る。
一方、太平洋戦争のさなかに、多感な青春時代を送り、抒情詩を書いていた新國は、20歳で迎えた終戦とともに、戦時中の一切を否定するようになった社会の変化を前にして、言葉の意味というものに対して決定的な不信を抱くようになる。この言葉に対する信頼と不信。そこから、新國誠一は、言葉を裸にし、言葉そのものに還ろうとして、独自の方法を見い出すことになったわけだが、その意味では、新國誠一のコンクリート・ポエトリーとは、もうひとつの「戦後詩」なのだと言えるだろう。新國誠一は、自らが考える詩について、次のように語っている。「詩の高度な言語活動は、生の秘密と切り離せないところにあるのです。意識の粒子にエネルギーを与え、 光のように五体を刺し貫くものこそ詩の本質です。それは感動というより、錯乱であり、閃光です。詩は、人間の可能性そのものです」。その生涯で、革命的な詩集『0音』を一冊だけを残し、新國誠一は、52歳で世を去った。だが、言語の原初的体験としての詩を創造しようとした詩人の姿は、今なお、鮮やかな閃光を放っている。
EDGE SP #5 / 2007.09.29