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詩人

榎本櫻湖

詩人・榎本櫻湖の冬の旅

Sakurako Enomoto

2011年に現代詩手帖賞を受賞し、翌年、処女詩集「増殖する眼球にまたがって」で詩壇に存在感を示した榎本櫻湖。画数の多い漢字や難解な表現を駆使した奔放な世界は、しばしば“言葉地獄”と形容され、時に読者を拒絶することさえあるほどだ。

彼女はいったい何者なのか―—東京郊外の一軒家で本に囲まれて暮らす榎本を訪ね、生まれ育った中野の商店街を歩くうち、これまで何重もの“生き難さ”を抱えながら詩作と向き合ってきた彼女の葛藤が明らかになっていく。両親の離婚、自殺未遂、男として生まれた自分の性や、肉体に対する違和感。高校には行かず引きこもり、唯一通った古本屋で出会う本だけが、彼女の世界だった。あたかも曼荼羅の如く文字で世界を埋め尽くすことで、著作から“私”という存在を消す。「生きることが苦しい?」思わず聞いたスタッフに彼女は答える。「私になってみたら分かるよ。すぐ自殺すると思う」と。だが同時に、生きることへの絶望を語り、深海魚への憧れを語る榎本はどこか朗々としている。

詩人・榎本櫻湖の冬の旅

自分の存在を消すかのように“私”という主語を拒んでいた榎本だったが、現実世界との接点が、意外なかたちで現れる。性同一性障害だった彼女が戸籍の性を変える時、生き別れた母親が、福島県相馬郡旧小高町〜福島第一原発の事故後、現在も立ち入りが制限されている地域〜の出身だったことに気づいたのだ。やがて彼女は、生まれてはじめて福島へ、母のルーツを探る旅に出る。自ずとそれは、詩人として躍動を始めた榎本櫻湖が“私”というルーツをたどる最初の旅でもあったのだ。

詩人・榎本櫻湖の冬の旅
(text 佐藤寛朗)
作品紹介

冬の旅1

わたしは――わたしは、とわたしは書きだしてしまう、ようやっと、ためらいもなしに、わたしは、と――帰る家を探していたのかもしれない、帰る場所を、ずっと、わたしがわたしであるまえから、ずっと、まったく、とるにたらない、つまらない思いを抱いて、毛足の長い飼い犬を抱えるようにして、そう、そこは犬小屋のような、豚小屋のような、木切をくんだ、簡素な、粗雑な、安価な木材に浮いた木目をペンキで覆い隠すこともなしに、そこにあるいは犬の足跡が、乾いて罅割れた肉球のこまかい筋目にはいりこんだ土埃などの痕が残ってしまうかもしれないし、そうした誰かの、なにかしらの痕跡に凭れかかって寒いのに汗をかきながらはじめて冬の星座を眺めたころ、節分をすぎてなお鹿の角を生やした鬼に追いたてられて樹海を彷徨ったあの日、などと装ってしまってもいいのかもしれない、木片をならべただけの遊歩道からそれて、いよいよなまえのわからない樹々にかこまれて、まさか、鬱蒼、などとは、そんな卑俗な物言いをするのは憚られるのかもしれないけれども、真下に終わりのしれない洞窟をおり畳んだやさしい樹海のただなかに、きっとみつけるだろう世俗から逃れてきた僧侶のひっそりと暮らす粘土と牛の糞尿を混ぜたあたたかみのある細工物を、消化しきれなかった禾本科植物の花穂やなにかが壁から顔をだして、古めかしい歌を口遊んでみせた、川を渡るまえに、鼈甲を背負って、焼き菓子をくわえさせて、わたしは――またしても、わたしは、とわたしは書きつぐことをやめられない、潰れた蒲団に包まっていたわたしは――、それを帳面に写すことすら怠ってしまったので、雛の、ようするに雀かなにか、梅や椿の枝でときおり囀ったり叫んでみせたりもする鳴禽類の一種の幼鳥が、黄いろい嘴をひらいて、薄紅いろの口腔に釣餌を溢れさせている糞と涎と羽毛とにまみれた巣――斑いりの卵殻を粉々に砕いて庭の鉢植えに撒いてみる――、そこへと到る蠕動する薔薇のはなびらにきっと汚れた指をかけてしまうのだろう、

冬の旅2

冬が幻視の季節だとするならば、安楽椅子に腰かけて霧のなかに腕をつきだし、そのひとのまぼろしの肩に手をかけようと空を摑んだまま、汗で湿ったてのひらを、指をただむなしく動かすだけだろう、たち枯れた薄が風に靡いているなかを歩いていって、やがて両脇に崩れた石垣がつづくひとけのない路地をぬけて、そのひとの生家へと辿りつくだろう、黴臭く埃の舞う畳敷きの部屋でふたたび、籐の揺り椅子に坐ってわたしの写ってはいないアルバムを懐かしそうに捲るだろう、庭先から頻りに吠えたてる犬の気配だけが漂ってくるが、それよりそのひとの影がゆらゆらと扉があいたままの便所へと消えていくのをじっと見ていることしかできないのだった、錆びた釘が何本も転がっている板の間を過ぎて、倒れた燈籠や朽ち葉の浮いた手水鉢が窓のそとで息を殺して、地層が剝きだしになった崖のうえを飛ぶ鳶に怯えているのだが、そのひとはだしぬけに海沿いの、砕けた墓石がならぶまえに佇んでいるのだ、まあたらしいテトラポットが積みあげられた、砂浜のみえなくなった岸辺にそのひとやそのひとの幼い姉妹が両手いっぱいの大きな西瓜を抱えて海からの風に煽られていた、半島のように突きでた丘のうえの神社には沈没した漁船の折れた舳先や座礁した鯨の腐肉がひっそりと供えられている、そのような大地をひき剝がして隠蔽された夏の星座を眺めようとするころには、青草の苦い汁がわたしのからだのうちを巡るのだろうし、棚からなだれ落ちた本を一冊ずつ拾う窶れた手がはたして誰のあたまを撫でたのだったか、その手に浴衣を着せられて土瀝青に汗の滴をたらし、お囃子の聴こえるほうへと駈けだしていったあのときを、たったいま青鷺が飛びたっていった川辺の繁みに探すのか、毀れたラジオから聴こえてくる白鳥の歌をすこしずつ五線紙に記していく手をわたしはきっと捏造するだろう、そう、もうひとりのわたしがそこでそうしたように、その虚ろな情景を彷徨ういくつものわたしがしらない家の玄関先に停められたしらない車へと乗りこんでいくのだった、それにしてもわたしはまだその日の月を見てはいないのだが、

映文連アワード2015 部門優秀賞受賞
榎本櫻湖

榎本櫻湖 (詩人)
1987年東京都生まれ
2011年、現代詩手帖賞を受賞。2012年に第一詩集『増殖する眼球にまたがって』を出版。他に『空腹時にアスピリンを飲んではいけない』など。

PLANNER/SUPERVISOR
城戸朱理
NARRATOR
阿部芙蓉美
CAMERA
山崎裕
AUDIO
池田 健/井手口大騎ダグラス
EDITOR
鈴尾啓太
EED
池田聡
AUDIO MIXER
富永憲一
AD
熊田草平
PRODUCER
寺島髙幸/平島進史
DIRECTOR
平田潤子

EDGE 1 #23 / 2015.04.25

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