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詩人

岡本啓

すべてのささいな出来事

Kei Okamoto

「生まれたての世界と旅する詩人」

詩と映像がゆらいではまざりあい一篇のなにかになる。音楽のような、歌のようなものへ。そのあわいを、ときほぐせないものへ。
ミャンマーのホテルのロビーで書かれた一葉のエアメール。そこからはじまろうとする、若き詩人・岡本啓の旅。けれども、どうやら、撮影班の荷物がどこかの空港で迷子になっているらしく、メルギー諸島をめざすという詩人と撮影班は、ヤンゴンのダウンタンで足止めをくっている。旅は、いつまでたっても、はじまらない。

詩人・岡本啓<br />すべてのささいな出来事

はじまらない旅の途中、岡本啓は、ノートに日本語を綴りはじめる。言葉は「声とクラクションで充満している」アジアの交差点になったり、色鮮やかな民族衣装、少年の肌からのぞく刺青になり、車窓で片膝をたてぼんやり煙草をふかす男にもなってゆく。果物籠をもった売り子の少女の声が、その異邦語の柔らかなスコールが、詩人には「歌」に聴こえた。世界にはいまだ歌でできた街角がある。岡本啓は街角と人熱のなかに心と耳をうずめ、キャップに眼差をかくし、陽焼けした腕のなかでなんどもノートをひらく。
ヤンゴンでの滞留中に書かれた詩「ロストバゲージ」は、この詩人の在り方そのもののようだ。「ここにささったこころもとなさ/これこそあたし」。足止めの詩人と撮影班を置き去って、人々は自転車にのって歌い生活の時針を走らせてゆく。もう何度目かのヤンゴンの夕陽が、黄金の寺院を、小舟の浮くいつまでも渡れない河を、人々の祈祷をオレンジに染めあげ岡本啓の横顔を照らす。

詩人・岡本啓 すべてのささいな出来事

こころもとなさは、不安であることをやめ、歌う河と薄暮に青くまざった。生きてゆくこと、詩を書く戸惑い、父親になったばかりの不安や期待は、異邦の見知らぬ風景と声にいだかれ、いつしか、おだやかな無言のハミングに変わり、河面から海へ流れてゆく。
明日も、はじまらない旅をする、じぶんを夢見て。
岡本啓は、いう。「生まれたての赤ちゃんは、皮膚がまだ世界に慣れていない」。若き詩人は、旅しつつ詩さえも脱ぎ棄て、言葉の生まれたての皮膚で、世界を感じとろうとする。

詩人・岡本啓 すべてのささいな出来事
(text 石田 瑞穂)
番組で使用した詩

ロストバゲージ

どこにいっただろう
あたしのぱんつ、あたしのシャツ、
あたしのぼーし、あたしのポーチ。
問い合わせ番号、これはあたしのじゃない
救命胴衣、これはあたしのじゃない
励ます素振り、それはあんたの。
あたしのじゃない。

ここにいることの心許なさ、
これこそあたしの。

あ、あった
すがすがしくいっさいと別れたわたし。
あたし一匹、
これで全部。

ヤンゴンの印象

コーラの缶が風に動き、窓が前にある

空間に ヤンゴンの 音が

転んだような 気がした

重たい机に、虫が、住み、ぼくはどこに

いるの?   ヤンゴンの印象は?

そんな質問があった、 質問は、すうびょう

すうびょうの間に、 コーラの空き缶が


 ここに やってきていた。 空間の


虫の 缶の 甘い  甘味料?


ほんとうは、なんてこたえればいいのか

わからない。  コーラの缶が風に

かすかに動いて、  そこに座っていたのは

自分だろうか。

よかった、 ヤンゴンの 暗い店に  吊られた

スナック菓子のふわふわが、わらってて

ことばで、さもなにかが確かなように、

喋りたくない。

ただ、思ったのは、ヤンゴンのコーラの空き缶が

かすかな 来たね  の、水の


輪が 重たいテーブルに 残っている。




つまんで殺すのは、  なにが死ぬんだろう

ティッシュで潰して、

物売りの声が、ここちよく

街を 洗っていた。

ヤンゴン動物園

ガイドブックに見かけた
「ヤンゴン動物園」
口にすると日暮れの鐘のひびき

夢にみた
青の島々、メルギー諸島は
もうまもなくだろうか

北京ではぐれたスーツケース
もし届いたとしても
最後の一日、結局、

メルギー諸島には行けなかった
だから
あてもなく
ヤンゴン動物園を歩いた

動物は少なくて
巨きな象が
とほうもなく遠くをねがい
ひくく吼えてた

真夜中を南下するバスで

美しい二人乗りの自転車を追い越していった。

電飾のピカピカした祈りを追い越していった。

裸の赤ん坊の泣き声を追い越していった。

片脚のない、二人の男を追い越していった。

真夜中の三人乗りを追い越していった。

わたしたちは死にむかっているのではない。

おおきすぎる荷物を足元に積んで

検問を越えて

乗客たちは寝静まってる。

ぼくは咳を抑えようと水を流し込んで

ミャンマーの夜のバケツからぶちまけられた餌の匂いを吸いこんでる。

ことばはどこに響くのだろうか。

煤けた夜のガラスが、熱気で涙を流している。

ティンドージーパゴダの拡声器からはメルギー諸島の方角へ祈祷がこぼれ続けている

ノドのうちがわの星々は消えて
なにもいうことがなくなった
空と海がほどけぬよう
点在する青の島を
もっときつく結んでいく
だれの瞳に
オレンジ色が沈んでいくだろうか
もうあけることができなくなるとき
はじめて濃い夜がくる
まだ、高台はあかるい

岡本啓

岡本啓 (詩人)
1983年生まれ
28歳から詩を書きはじめ、2015年、「現代詩手帖」への投稿詩をまとめた処女詩集『グラフィティ』で中原中也賞と、H氏賞を史上初めてW受賞した。2017年には、東南アジアや国内各地の旅から生まれた第二詩集『絶景ノート』で第25回萩原朔太郎賞を受賞。

出演
岡本啓
演出
平田潤子

EDGE 1 #28 / 2018.04.21

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