ART DOCUMENTARY PROGRAM
スカパー! Ch.529にて放送中
本篇は、1955年以降のアメリカに登場したビート詩人であり、日本で10年以上も禅仏教の修行をした詩人として名高いゲーリー・スナイダー、そして同じころに日本詩壇へとすい星のごとく現れ、現在も旺盛な詩的活動を続けている谷川俊太郎のポエトリー・リーディングの記録である。スナイダー、谷川が各々の詩を読み、その日本語訳/英訳をふたりが読む、というぜいたくな構成だ。本篇は、「声の文化」である詩を日・英両方で楽しめ、さらに詩人本人から詩にまつわる話が聞ける。詩の「意味」はもちろん重要だが、まずは詩の音楽性を楽しみつつ、その意味にも想像力を開いていく、それが本篇の楽しみ方だろう。
全篇が見どころといって過言ではないが、本篇には「越境」というテーマが見え隠れする。詩人としての資質、出自、使用言語、スナイダーと谷川はことごとく違うが、そういった差異など越えて、お互いがリスペクトを払うふたりの姿。俳句からの影響をお互いがお互いの詩に認めている部分での、「俳句」と「世界文学としてのハイク」の差異。スナイダーのシエラネヴァダ山脈の家での生活は、21世紀と19世紀を組み合わせた(時間的に越境する)ライフスタイルであること。その生活の実践も仏教由来であり、「どう毎日を過ごすのか」という「知的な実践」にこそ仏教はある、というスナイダーの、日本とは異なる仏教観。「善/悪」という二元論的思考(善/悪を設定するから悪/善も生まれる)。こういった差異をどのように越境するのかは、本篇を観ていただきたい。
詩は予言的役割を果たすことが往々にしてあるが、最後にスナイダーが読む2篇は、新自由主義下で失われていく民主主義、そして「人災」と認定された福島第一原発の未曽有の災禍の予言となっている。太平洋のみでなく、上記の要素を越境するふたりの詩人たちの豊かな表情を、多角的なカメラワークで捉えた映像も楽しんでいただきたい。
EDGE SP #12 / 2012.05.19